共通の目的を持つとまとまる

家族の問題は小さなものから大きなものまで様々ですね。

しかし、ほとんどの問題は小さな問題から発生していると思います。

この小さな問題とは価値観や習慣の違いから起こることが多く、自分の主張が通らない時に衝突してしまいます。

矢印でいえば、向き合って衝突している状態ですね。

この衝突が激しくなる場合もあれば、矢印が逆を向いて離れていく場合もあります。

 

いずれにしても家族間の問題は大きくなるばかりです。

この問題を解決するにはどうすればよいのでしょうか。

ひとつの解決策は矢印の方向を共通の方向に向けることです。

ベクトルを同じ方向に向けるのです。

 

「類は友を呼ぶ」という言葉もあるように、人はグループとなる生き物のようです。

 

親の問題と子どもの問題、のように個別の問題として扱うのではなく、家族としてどうなっていきたいのかを考えていくことはときに有効です。

親の立場としてどのような家庭を望んでいるのか、子どもの立場から望む家族とは何なのか。

お互いの立場を共有して同じ目標を定めるだけで、関係に変化が現れることもあります。

 

もし、家族がまとまっていないと悩んでいるのであれば、何か大きな目標を家族で持ってみましょう。

家族がまとまらないのは向いている方向や求めているものがバラバラだから。

ほとんどは家族としてまとまりたいと感じているはずです。

しかし、そのまとまり方や密度は人それぞれ違うものです。

 

例えば、世界平和は誰もが望んでいることだと思います。

しかし今、世界では国同士で利益を取り合い、争い、いがみ合っていますね。

そして、それはその人(国)が信じる平和への道ゆえともいえるかもしれません。

そこで、もし宇宙人が地球を侵略に来たならどうなるでしょう。

そうなればきっと地球人として世界はひとつにまとまることでしょう。

 

何か共通の戦うべき「敵」が見つかると「チームメイト」となることが可能です。

今日の敵は明日の味方というわけです。

 

そのときのポイントは特別に大きな目的を設定する必要はありません。

むしろ、日ごろ何気ない瞬間を共有して共感できればいいのだと思います。

それは、テレビで笑ったところが一緒だったり、一緒にゲームを楽しんでいる瞬間だったり、問題解決のために共に悩んでいるときだったりするかもしれません。

そのような積み重ねで心のベクトルは同じ方向を向きだすのではないかと感じています。

 

あと、大切なことは自分の方向に相手を向かせるのでなく、相手に自分が合わせていく努力が必要です。

 

是非、気長にお試しください。

ありがとうございます。

 

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おやおや?


親が子どものことで困って相談に来るとき、実は親はその親のことでのトラウマや問題を抱えているケースが少なくありません。

子どもが引きこもっている、不登校しているときに親は子どものために一生懸命問題を解決しようとします。

しかし、その問題の原因が親である自分自身にあるかもしれないことなどは少しも考えつかないようです。

なぜならその親自身は子どものために全力で取り組んでいるからなのですが、全力であるがゆえに自分の抱えている問題解決まで意識が向かないのでしょう。

 

親子の問題は世代を超えていることが多く、親自身の親子関係の問題が未消化だったりすると、その消化不良された部分がその親の子どもへと移っていくのです。

親は子どもを変えようとします。

子どもが変われば問題が無くなると考えます。

それがうまくいけば、一時的には解決したかのように思うかもしれません。

だだし、それは根本的な解決になっておらず、ただ先延ばしにしているだけだったりするのです。

本当に親子の問題を解決したいのであれば、まずは自分自身を見直してみることをおすすめします。

 

また、親子の関係性で葛藤があると、夫婦関係にも大きく影響を与えます。

親からの葛藤を抱えたまま成人した場合、たとえ物理的に離れたとしても、それは根本的に解決したことにはなりません。

そうすると無意識に、満たされなかった部分をパートナーに依存したり、要求したり、強要したりしがちです。

例えば、十分に愛情を注いでもらえなかったなら、異性に対して過度に依存してしまったりするのです。

 

子どもがSOSを出しているときは実は「お父さん、お母さん、問題から逃げずに自分自身に向き合ってよ。」というサインなのかもしれません。

自分の本当の気持ちは意外に自分では見えなかったりするものです。

それは、プライドや世間体、これまでの経験が邪魔をしてしまっているからです。

人は親でもあり、子どもでもあります。

親になると子供の部分が無くなるわけではありません。

ただ、見えづらくなるだけです。

子どもの問題をきっかけに生き方を見直してみるのも悪くはないかもしれませんね。

ありがとうございます。

 

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親へのタブーはタブーか

これまでもずっと親の悪口はタブーとされる風潮が社会にはありますね。

 

親のことを悪く言うもんじゃない。

親に向かってその口の利き方はなんだ。

親なんだから○○してあげなよ。

親の言うことには黙って聞くべきだ。

親に変わりはいないんだよ。

親はおなかを痛めて産んでくれたんだよ。

 

などはよく聞かれることではないでしょうか。

その背景には、親は尊い存在なのだから大切にしなければいけないという倫理的にも宗教的にもスピリチュアル的にも共通している概念が世の中にあるからだと思います。

その概念自体を否定するつもりはまったくありません。

ただ、その概念が時に苦しみを倍増させてしまうことがあるのもまた事実です。

 

人は子どもを授かった時点で「親」となります。

どのような人でも親になれますし、強制的に親となります。

心優しい人であろうと、極悪非道な人であろうと親になります。

 

心優しく愛情に満ちた人が親なら何も心配はいらないでしょう。

しかし、正反対の性格を持った人が親となった場合はどうでしょう。

すべての人が親になった瞬間から「心優しい愛情に満ちた人」となるのでしょうか。

答えはもちろんNOですね。

 

親になるということはとても大きなライフイベントです。

そのことで大きな変化を起こす人もいますが、親になったからといって性格が180度変わるような人はそれほど多くはないはずです。


それにも関わらず、親の悪口を言う子どもはよくないという世の中なのです。

それはまるで親となった瞬間から聖職者となるようなものです。

とても神聖で尊い存在。

子どもを得たその瞬間からそのような「者」になれるのです。

 

そのことを思うと違和感を感じてしまいます。

私たちは親である前に一人の人間です。

一人の人間として一人の人間の親であるのです。

 

子どもが親の悪口を言える環境なら、まだある意味健全かもしれません。

なぜなら、多くは親や世間からの批判を恐れて口にすら出せないでいるかもしれないからです。

 

完璧な人間などいないのと同じように完璧な親などいません。

親も子どももお互いに一人の人間として時には一緒に、時にはライバルとして成長していけるような関係が良いのではないかと思います。

そのためには、まず親から自分のいたらないところを素直に認められるようになり、子どもにお手本を見せられるようになれると良いですね。

ありがとうございます。

 

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Don't think! Feeeeel!!

親子間で大事なことは何か?

その多くの人はコミュニケーションだと答えます。

確かにそれはとても大事です。

しかし、ただ相手と話をしていればそれで大丈夫だと思っていると大きな落とし穴に落ちてしまいます。

 

親が子どもに話をする内容のほとんどは、今日何をしたか。

今日どのような出来事があったか。

勉強はしているか。

友達とは仲良くしているか。

などが多いはずですね。

 

会話のほとんどは思考によるやり取りになります。

問題が起これば解決するための方法や対策を考えます。

 

私たちは学校や社会から「解決」することを訓練されてきました。

それが私たちのごく自然な考え方であるわけです。

特に男性はその傾向が強いですよね。

 

子どもが不登校になれば、その原因を探します。

どのようにすれば学校に戻れるか必死に考えます。

 

私たちは考えます。

考えに考えて,本当に「考えすぎる」ということもあります。

 

考えることは大切なのですが、ときにはもっと大切なことがあります。

それは感じること。

 

悩みを持っている人は、まず自分の悩みを相手も同じように感じてほしいと思っています。

しかし、感じるということができないため、なかなか先に進むことができずに手ごたえがなく何をやっても効果がないように感じてしまう。

先ほどの不登校の例えで言うなら、「学校に行きたくない」という気持ちを置き去りにして学校に行かせることを考えて実行しても本人はびくとも動かないわけです。

 

学校に行きたくないと言っている子どもはどういう気持ちでいるのか?

そんな単純で基本的なことを忘れてしまうのは親の心にも余裕がないかこれまで考えたこともないからかもしれません。

 

ではどうすれば感じることができるのでしょうか。

そのヒントは、日ごろどれだけ感じているかを自分自身で確認してみましょう。

日ごろ何を感じながら生きているのかを自覚するのです。

 

ブルースリーの「Don't think Feeel!!」というフレーズは有名ですが、武術でも相手がどのような攻撃をしてくるか考えて、それに対処するのではすでに遅く、簡単にやられてしまうでしょう。

相手の攻撃してくる一瞬を感じ取れなければ勝つことができないのではないかと思います。

 

親子でコミュニケーションをとるときにはこの感じることを優先的に行ってみましょう。

きっと会話の質も変わってくるはずです。

ありがとうございます。

 

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なにゆえそう思うんだろう

私たちは一秒たりとも考えることをやめることはできないことを知っていましたか?

マグロが泳ぐのを止めると死んでしまうのと同じように、私たちは生きるために脳はかたときも休まず働いているのです。

瞑想では、心を無にすること=何も考えていないこと、と解釈する人も多くいると思いますが、実際は私たちは「なにか」を想っています。

 

いろいろなことを考えながら生活をしているなか、なぜあなたはそう思うのでしょう。

好きな色はと聞かれて答える色はなぜ?

海か山かと聞かれて、山が好きと答えるのはなぜ?

痩せたいと思うのはなぜ?

出世したいと思うのはなぜ?

家族仲良くいたいのはなぜ?

 

質問に対して答えることは簡単に見えるかもしれませんね。

ごもっともな理由が出てくることと思います。

ただ、あなたがそれを選ぶに至った道のりや原因を知ること、分かることは難しいのではないでしょうか。

 

これまでの経験や環境、さまざまな刺激などから脳は複雑な回路を形成していき一つの思考を導き出します。

そのようなときになぜ自分はこう思うようになったのだろうかと、ちょっと客観的に物事を見てみる機会があってもいいように感じます。

最近話題の豊田真由子議員の「このハゲーー!」等の暴言は今年の流行語大賞になるのではないかという勢いですが、なぜそういうことを言おうと思うのでしょうか

エリート街道を進んでいく中で自分の言動を立ち止まって見てみる機会が得られなかったことは大変残念ですが、今まさにそれを体験している最中ということかもしれません。

 

家族に対しても同じです。

なぜ子供に向かってこの言葉を使うことをあなたは選んだのですか?

なぜ親に対して複雑な想いを抱いてしまうのですか?

 

今あるものはあなたが選んだのではないとも思うかもしれません。

しかし、法律がそうなっているから、ルールだから、それが常識だから、という理由で納得してしまっているならすべての選択権を他者にゆだねてしまっていることになり、「あなた」という存在は無くなってしまいます。

プログラムされたことに忠実な人間であるなら、それはただのロボットですよね。

 

フランスの哲学者デカルトの言葉に「われ思う、故に我あり」がありますが、なぜそう思うのか(思わないのか)をあなたなりに考えてみることに似ているかもしれません。

言葉を鵜呑みにするのではなく、より深くあなたの心を観ていきましょう。

 

生まれた直後というのは何も分からない状態ですね。

そこから、しつけ、教育、家庭環境等の影響を受けていきます。

生まれたときからあるあなたの資質もあります。

自我が形成されていくなかでいろいろな出来事がありますので、決してあなたが間違っているということではありません。

 

ただ、誰かと意見が対立したときや違和感を感じるときなどに、あなたの立場が絶対だと思わず、あなたの持っている価値観に焦点を当ててみることで、なぜそこまでこだわるのか、なぜ他ではだめなのか等、何か新たな気づきが出るかもしれません。

それが心の余裕にも変わっていくのではないかと感じます。

ありがとうございます。

 

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