アンガーコントロール

怒りは行動を起こすための良いモチベーションになります。

悔しさも怒りの一種ですが、スポーツ選手が試合に負けて

悔し泣きしているところなどを思い浮かべるとイメージ

しやすいですね。

 

しかし、この怒りという感情はとてもくせ者です。

「短期は損気」という言葉があるように、

間違った怒り方をすると周りの人たちから

大変なひんしゅくを買ってしまったり、

離れていってしまったり、関係が壊れてしまったりして、

後になって大きく後悔してしまう事態にもなりかねません。

 

人間の脳はよく使う回路はどんどん太く強くなるのですが、

反対に使わない回路はどんどん細く弱くなっていきます。

 

そのため、怒ることを続けていると「怒りの回路」は

どんどん強固になってきます。

筋トレで太くて強い腕っぷしになっているのと同じです。

すると、怒りの沸点もどんどん下がってきてしまい、

ちょっとしたことでもイライラし始め、

ちょっとしたきっかけで爆発してしまうようになるのです。

 

乳児期や幼児期はコミュニケーションもうまく取れず、

言うことも素直に聞いてくれないことが多いため、

つい大きな声を出したり、手を出してしまったり

することがあると思います。

 

しかし、ついやってしまうその行為が実は、

自分自身で怒りのハードルを下げてしまっているのです。

 

虐待したくないのにしてしまう母親というのは

自分自身で感情をコントロールできないくらいまで

沸点が下がってしまった状態と言えるでしょう。

 

では、どうすればよいのでしょう。

それはまず自分が短気であることを自覚することですね。

そして、その短気を直すために行動することを誓うのです。

 

脳は怒りの回路に行きやすくなっているので、

何もしなくても怒ることができるようになっています。

癖のようなものですね。

なので、その回路に栄養を与えてはいけません。

「使う回路は強くなるが、使わない回路は弱くなる」

という特性を利用して、

強い回路をを弱くして、弱い回路を強くしていく作業

を根気よく続けていきましょう。

 

始めは、「こんなことされて怒らないなんてありえない」

などと思ってしまうかもしれませんが、

次第に怒らない回路が強くなってくれば、

「何でこんなことで怒るんだろう」

と思えるようになるかもしれませんよ。

 

そうすれば怒るが「叱る」に変わるでしょうね。

ありがとうございます。

得意技を活かそう

人間誰しもとても素晴らしい可能性を持っていると思います。
ただ、自分をうまく使いこなせていない人たちが
たくさんいるように感じます。

自分の思考に囚われすぎてしまい、
柔軟な考え方や発想ができないでいる人。
感情に流されてしまい、
冷静な判断や我慢ができてない人。
感覚に無頓着であるために、
健康を害したり、行動できない人。

など、人間の本来備わっている機能を発揮するのではなく、
そのものに振り回されてしまっていることがあります。

例えば、陸上のハンマー投げは回転しながらハンマーを
より遠くへ投げる競技です。
ハンマーをしっかりと投げるには
自分の中心を保てる強靭な肉体とバランス感覚が
必要になります。
もし、ひょろひょろの身体でハンマーを振り回せば
どうなるでしょうか。
遠心力に耐えられず身体はどこかへ持っていかれ、
ハンマーを投げるどころではなくなるでしょう。
上手に遠くまで投げるには、ハンマーという道具の
特性を活かしてあげることが重要です。
筋力、フォーム、タイミング、バランス、角度などを上手に使い、
ハンマーの得意な部分を活かしてあげるということです。

それでは思考、感情、感覚の得意技とはなんでしょう。

思考の得意技、それは絶え間なく考えられること。
それは一生泳ぎ続けるまぐろのように止まることを知りません。
それを自分に活かすには、良いことを考え続けることです。
ポジティブ、前向き、希望、平和、愛などを持つことと、
ネガティブ、後向き、絶望、復讐、憎悪などを持つことを
比較すれば、どちらが人生により良い影響をあたえるかは
一目瞭然ですよね。

感情の得意技、それは生きる活力を与えてくれること。
人生の調味料のように素材の味に変化を加えることができます。
感情は隠し味的存在であるため表に出すぎると、
素材の味が分からなくなったり、好みが分かれたりしてしまいます。
あくまで引き立て役として活躍することで、
同じ出来事でも違う感情を味わうことができます。
そうすれば人生がより充実したものになるでしょう。

感覚の得意技、それは身の危険や限界を知らせてくれること。
身体は無理をすれば必ずサインを出してきます。
筋力トレーニングをしていれば筋肉が悲鳴をあげることで、
もう無理だ、と感じることができますね。
感覚無くそのまま続ければ筋肉の組織を壊してしまうでしょう。
このサインに鈍感だと、大きな病気に突然なってしまったり、
自分の生活習慣の影響に気づけなかったりしてしまいます。

人間の持っている器官や機能を「自分が」しっかりと使いこなすことで
未然に病気や事故を防ぎ、充実した心で生活をおくることができる
のではないかと思います。
ありがとうございます。

更生する3

2月2日に元プロ野球選手の清原和博氏の覚醒剤所持で逮捕
されたニュースは世間に大きな衝撃を与えました。
本人も容疑を認めているようですし、
使用も1回や2回ではないようです。
球界や芸能界などから様々なコメントが出ていますが、
ほとんどの人が「残念だ」「ショックだ」と言っています。
そこにはどうしてそのような人間になってしまったのか、
という失望感や裏切られた怒りが現れているように思います。

PL学園でKKコンビで親友の元プロ野球選手の桑田真澄氏は
薬物疑惑が出ていた当時より、やっているのならやめるよう忠告
していたようですが、清原氏より「一切関わらないでくれ」
と言われ絶縁状態だったようです。
結果、逮捕ということになってしまいましたが、それでも
「逆転満塁ホームランを打ってほしい」という言葉で
更生を願っています。

今後、清原氏は社会からは大きバッシングを受けることでしょう。
そのような環境で、本人がどれだけ本気で更生することを望むのか。
また、同時にどれだけ周りが本当に更生するために力を貸し、
社会復帰の道を与えていけるのかが気になります。

日本は失敗がゆるされない国だといわれることがあります。
それは失敗=だめな人間、というレッテルが貼られてしまう
からかもしれません。
受験で失敗する、事業で失敗する、子育てを失敗するなど、
その失敗は時に強く責められます。
過去には村八分という独特な制裁行為もありました。
島国という特徴もあるのかもしれませんが、調和できない人間、
うまくできない人間、人並みに達しない人間には
非常に厳しい国なのかもしれませんね。

アメリカのペンシルバニア州ランカスター地区に
「アーミッシュ」という人たちが住んでいます。
彼らはテレビやインターネット、自動車など
コミュニティに必要ないと判断するものは排除して
旧様式な文明を守って生活している人たちです。
その彼らの学校で銃乱射事件が起こり、
女生徒5人死亡、5人重症という痛ましい出来事がありました。

にも拘らず、世界は違う衝撃を受けました。それは、
アーミッシュの被害者たちは即座に犯人とその家族をゆるしたのです。

なぜならアーミッシュはゆるすという行為を習慣化していたからです。
だからといってすぐに心の痛みが無くなり、
癒えるのかといえばそのようなことはありません。
彼らも同じ人間です。
悲しみや人を憎む気持ちも持っています。
しかし、その気持ちにのまれることを選ばず、
ゆるしを一番に選択することを自分に課すのです。
それが自分にとっても相手にとっても
最善であるということを信じているからです。

更生するには本人の本当に悪かったと思う、謝罪の気持ち、
もう一度やり直すという、強い意思、
それを証明するための行動力が必要だと思います。
それだけではなく、周りの人たちや社会の
更生できるための配慮や応援、支援をしていける体制、
温かく見守る気持ちなども大事な要素であるように思います。

加害者はゆるされるための最大限の努力をする。
被害者はゆるすための最大限の努力をする。
社会は更生と受け入れる体制をしっかり整える。

どれかが欠けても更生には長い年月がかかりますが、
すべての力が合わされば2倍にも3倍にも早まるのではないでしょうか。
ともに人生を賭けて取り組まなければならないような
大きな事柄かもしれませんが、
この大きな課題を乗り越えられたとき、
人はひとまわりもふたまわりも大きく成長できるはずです。そして、
私たちにはそのポテンシャルが備わっていると信じています。
ありがとうございます。

更生する2

同じくらいの時期に映画「レ・ミゼラブル」を観ました。

1本のパンを盗んだために19年間もの監獄生活を送ること
になったジャン・ヴァルジャンの生涯を描く作品です。
この映画でもやはり更生について深く考えさせられました。

牢獄で人間不信と憎悪の塊となった主人公は司祭の慈悲に触れ、
正直な人間になることを誓いました。彼はその後失踪して、
マドレーヌと名乗り街の市長になっていました。
しかし、自分と間違えられて逮捕された男がいることを聞き、
自分がジャン・ヴァルジャンであること打ち明け、
また追われる身となります。
そして牢獄時代から知っている警察官からの追跡を受け続けます。

もし、あなたの一番素晴らしい親友が過去に殺人を
犯していたことを知ったらどうしますか?
そして、その殺人犯のことを絶対にゆるせなくて、
めちゃくちゃに批判していたのなら?

今は「私刑」という言葉があります。
(国家ないし公権力の法と刑罰権に基づくことなく、
個人または特定集団により執行される私的な制裁。)

ときに非常に過激な発言や行動により制裁を行い
波紋を呼ぶことがありますね。
きっとその人の正義感や倫理観からなのでしょうが
どこか幼稚さや当事者意識の欠落した感じを
受けてしまうのは私だけでしょうか。

間違いを犯した人を批判し、罵倒し、無視し、
仲間はずれにすることは誰でも簡単にできます。

では、それで更生させられるのでしょうか?

ヒントはレ・ミゼラブルに出てくる司祭の行動でしょうか。
彼は盗みを行った罪をゆるしたうえ、更に与え、
実際に犯した罪をも無いことにしました。
それがきっかけでジャン・ヴァルジャンは更生します。

では、実際に今の世の中でそのようにうまくいくでしょうか。
それはわかりませんが、私たちにそのような心があるか
どうかを自分自身に問うことはできると思います。

ゆるす心、慈悲の心。

イライラする、ムカムカする、ムシャクシャする、
それはゆるせないと大なり小なり思うからではないでしょうか。
映画の中でジャン・ヴァルジャンを追っていた警察官は
逆に恩を売られ、最終的には自分の信念を変えて
ゆるすことができずに自ら命を絶ってしまいます。

神戸連続児童殺傷事件の犯人である元少年Aの件でも
ゆるさず、ゆるされないことでだれも幸せになれていません。
加害者本人。
加害者の家族。
被害者。
被害者の家族。

それだけでも十分、殺人という行為がいけないことが分かります。
感情や状況に流されても絶対にしてはいけない行為だと思います。

ただ、間違いを起こしてしまったときに、
一生幸せになることがゆるされない、
幸せになれない、なることができない社会
ということにも違和感を覚えてしまいます。

罪を犯してしまった人間は
幸せになってはいけないのでしょうか?
幸せだと感じてはいけないのでしょうか?
誰がその許可を出すのでしょうか?

また続く

ありがとうございました。

更生する1

神戸連続児童殺傷事件の犯人である
元少年Aの書いた「絶歌」を読みました。

この本の出版に際しては、
本名を明かしていない、
被害者への許可無く出版した、
当事者意識を感じられない、
出版社のモラルなど、
いろいろな批判も出て、
社会問題となりましたが、
ここではそれらの議論については
触れないようにします。

私が単純にこの本を読んで1番感じたことは、

「更生するとはどうゆうことなのだろう?」

ということでした。
元少年Aは大きな過ちを犯してしまいました。
それは間違いないことでしょう。
自分の中の異常性を感じつつも、
本人やその周りの人たちが
その暴走を止められなかったことは
本当に残念なことです。

当時、14歳の中学生があのような残酷な殺人を犯した
この事件は世間に非常に大きなショックを与えました。
そして、当然ですが世間は殺人鬼として批判します。
しかし、元少年Aの更生に関わる人たち
(親兄弟、刑務所関係の人々、保護施設の人々など)は、
皆、その人なりに温かく接していたように書かれていました。

そして、6年以上の少年院生活を終えて出てきますが、
少年院で行われた矯正教育の内容については
残念ながら詳しくは書かれていませんでした。
当然、自分が元少年Aであることは隠して生きます。
出所したものの、人とのコミュニケーションが
うまく取れないなか、懸命に働きながら彼なりに
悩み苦しみながら、社会の一員となろうとします。

「普通」になろうとしてもなれず、
自分の犯したことに押しつぶされそうになりながら生き、
被害者の命日にあわせて手紙を出し続けているといいます。

その後、週刊誌に手紙を送りホームページの開設を知らせる
など、そのたびに波紋を呼んでいます。

この元少年Aは更生したのでしょうか?
その判断や基準は誰の手にゆだねられているのでしょうか?
そのような想いが頭をよぎったのでした。

続く。

ありがとうございます。