共通の目的を持つとまとまる

家族の問題は小さなものから大きなものまで様々ですね。

しかし、ほとんどの問題は小さな問題から発生していると思います。

この小さな問題とは価値観や習慣の違いから起こることが多く、自分の主張が通らない時に衝突してしまいます。

矢印でいえば、向き合って衝突している状態ですね。

この衝突が激しくなる場合もあれば、矢印が逆を向いて離れていく場合もあります。

 

いずれにしても家族間の問題は大きくなるばかりです。

この問題を解決するにはどうすればよいのでしょうか。

ひとつの解決策は矢印の方向を共通の方向に向けることです。

ベクトルを同じ方向に向けるのです。

 

「類は友を呼ぶ」という言葉もあるように、人はグループとなる生き物のようです。

 

親の問題と子どもの問題、のように個別の問題として扱うのではなく、家族としてどうなっていきたいのかを考えていくことはときに有効です。

親の立場としてどのような家庭を望んでいるのか、子どもの立場から望む家族とは何なのか。

お互いの立場を共有して同じ目標を定めるだけで、関係に変化が現れることもあります。

 

もし、家族がまとまっていないと悩んでいるのであれば、何か大きな目標を家族で持ってみましょう。

家族がまとまらないのは向いている方向や求めているものがバラバラだから。

ほとんどは家族としてまとまりたいと感じているはずです。

しかし、そのまとまり方や密度は人それぞれ違うものです。

 

例えば、世界平和は誰もが望んでいることだと思います。

しかし今、世界では国同士で利益を取り合い、争い、いがみ合っていますね。

そして、それはその人(国)が信じる平和への道ゆえともいえるかもしれません。

そこで、もし宇宙人が地球を侵略に来たならどうなるでしょう。

そうなればきっと地球人として世界はひとつにまとまることでしょう。

 

何か共通の戦うべき「敵」が見つかると「チームメイト」となることが可能です。

今日の敵は明日の味方というわけです。

 

そのときのポイントは特別に大きな目的を設定する必要はありません。

むしろ、日ごろ何気ない瞬間を共有して共感できればいいのだと思います。

それは、テレビで笑ったところが一緒だったり、一緒にゲームを楽しんでいる瞬間だったり、問題解決のために共に悩んでいるときだったりするかもしれません。

そのような積み重ねで心のベクトルは同じ方向を向きだすのではないかと感じています。

 

あと、大切なことは自分の方向に相手を向かせるのでなく、相手に自分が合わせていく努力が必要です。

 

是非、気長にお試しください。

ありがとうございます。

 

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おやおや?


親が子どものことで困って相談に来るとき、実は親はその親のことでのトラウマや問題を抱えているケースが少なくありません。

子どもが引きこもっている、不登校しているときに親は子どものために一生懸命問題を解決しようとします。

しかし、その問題の原因が親である自分自身にあるかもしれないことなどは少しも考えつかないようです。

なぜならその親自身は子どものために全力で取り組んでいるからなのですが、全力であるがゆえに自分の抱えている問題解決まで意識が向かないのでしょう。

 

親子の問題は世代を超えていることが多く、親自身の親子関係の問題が未消化だったりすると、その消化不良された部分がその親の子どもへと移っていくのです。

親は子どもを変えようとします。

子どもが変われば問題が無くなると考えます。

それがうまくいけば、一時的には解決したかのように思うかもしれません。

だだし、それは根本的な解決になっておらず、ただ先延ばしにしているだけだったりするのです。

本当に親子の問題を解決したいのであれば、まずは自分自身を見直してみることをおすすめします。

 

また、親子の関係性で葛藤があると、夫婦関係にも大きく影響を与えます。

親からの葛藤を抱えたまま成人した場合、たとえ物理的に離れたとしても、それは根本的に解決したことにはなりません。

そうすると無意識に、満たされなかった部分をパートナーに依存したり、要求したり、強要したりしがちです。

例えば、十分に愛情を注いでもらえなかったなら、異性に対して過度に依存してしまったりするのです。

 

子どもがSOSを出しているときは実は「お父さん、お母さん、問題から逃げずに自分自身に向き合ってよ。」というサインなのかもしれません。

自分の本当の気持ちは意外に自分では見えなかったりするものです。

それは、プライドや世間体、これまでの経験が邪魔をしてしまっているからです。

人は親でもあり、子どもでもあります。

親になると子供の部分が無くなるわけではありません。

ただ、見えづらくなるだけです。

子どもの問題をきっかけに生き方を見直してみるのも悪くはないかもしれませんね。

ありがとうございます。

 

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親へのタブーはタブーか

これまでもずっと親の悪口はタブーとされる風潮が社会にはありますね。

 

親のことを悪く言うもんじゃない。

親に向かってその口の利き方はなんだ。

親なんだから○○してあげなよ。

親の言うことには黙って聞くべきだ。

親に変わりはいないんだよ。

親はおなかを痛めて産んでくれたんだよ。

 

などはよく聞かれることではないでしょうか。

その背景には、親は尊い存在なのだから大切にしなければいけないという倫理的にも宗教的にもスピリチュアル的にも共通している概念が世の中にあるからだと思います。

その概念自体を否定するつもりはまったくありません。

ただ、その概念が時に苦しみを倍増させてしまうことがあるのもまた事実です。

 

人は子どもを授かった時点で「親」となります。

どのような人でも親になれますし、強制的に親となります。

心優しい人であろうと、極悪非道な人であろうと親になります。

 

心優しく愛情に満ちた人が親なら何も心配はいらないでしょう。

しかし、正反対の性格を持った人が親となった場合はどうでしょう。

すべての人が親になった瞬間から「心優しい愛情に満ちた人」となるのでしょうか。

答えはもちろんNOですね。

 

親になるということはとても大きなライフイベントです。

そのことで大きな変化を起こす人もいますが、親になったからといって性格が180度変わるような人はそれほど多くはないはずです。


それにも関わらず、親の悪口を言う子どもはよくないという世の中なのです。

それはまるで親となった瞬間から聖職者となるようなものです。

とても神聖で尊い存在。

子どもを得たその瞬間からそのような「者」になれるのです。

 

そのことを思うと違和感を感じてしまいます。

私たちは親である前に一人の人間です。

一人の人間として一人の人間の親であるのです。

 

子どもが親の悪口を言える環境なら、まだある意味健全かもしれません。

なぜなら、多くは親や世間からの批判を恐れて口にすら出せないでいるかもしれないからです。

 

完璧な人間などいないのと同じように完璧な親などいません。

親も子どももお互いに一人の人間として時には一緒に、時にはライバルとして成長していけるような関係が良いのではないかと思います。

そのためには、まず親から自分のいたらないところを素直に認められるようになり、子どもにお手本を見せられるようになれると良いですね。

ありがとうございます。

 

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Don't think! Feeeeel!!

親子間で大事なことは何か?

その多くの人はコミュニケーションだと答えます。

確かにそれはとても大事です。

しかし、ただ相手と話をしていればそれで大丈夫だと思っていると大きな落とし穴に落ちてしまいます。

 

親が子どもに話をする内容のほとんどは、今日何をしたか。

今日どのような出来事があったか。

勉強はしているか。

友達とは仲良くしているか。

などが多いはずですね。

 

会話のほとんどは思考によるやり取りになります。

問題が起これば解決するための方法や対策を考えます。

 

私たちは学校や社会から「解決」することを訓練されてきました。

それが私たちのごく自然な考え方であるわけです。

特に男性はその傾向が強いですよね。

 

子どもが不登校になれば、その原因を探します。

どのようにすれば学校に戻れるか必死に考えます。

 

私たちは考えます。

考えに考えて,本当に「考えすぎる」ということもあります。

 

考えることは大切なのですが、ときにはもっと大切なことがあります。

それは感じること。

 

悩みを持っている人は、まず自分の悩みを相手も同じように感じてほしいと思っています。

しかし、感じるということができないため、なかなか先に進むことができずに手ごたえがなく何をやっても効果がないように感じてしまう。

先ほどの不登校の例えで言うなら、「学校に行きたくない」という気持ちを置き去りにして学校に行かせることを考えて実行しても本人はびくとも動かないわけです。

 

学校に行きたくないと言っている子どもはどういう気持ちでいるのか?

そんな単純で基本的なことを忘れてしまうのは親の心にも余裕がないかこれまで考えたこともないからかもしれません。

 

ではどうすれば感じることができるのでしょうか。

そのヒントは、日ごろどれだけ感じているかを自分自身で確認してみましょう。

日ごろ何を感じながら生きているのかを自覚するのです。

 

ブルースリーの「Don't think Feeel!!」というフレーズは有名ですが、武術でも相手がどのような攻撃をしてくるか考えて、それに対処するのではすでに遅く、簡単にやられてしまうでしょう。

相手の攻撃してくる一瞬を感じ取れなければ勝つことができないのではないかと思います。

 

親子でコミュニケーションをとるときにはこの感じることを優先的に行ってみましょう。

きっと会話の質も変わってくるはずです。

ありがとうございます。

 

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家族なんだからの呪縛


家族なんだから、この言葉に不快感を示す人は結構多いです。

親からは「家族なんだから○○してもいいでしょ。」「家族なんだから○○しなさい。」などと言うことはよくあることかもしれません。

また、嫁姑間ではこの言葉が原因で大きな問題になることもしばしばありますね。

 

そして、家族なんだからという言葉はなにも身内から出てくる言葉だけではありません。

友人・知人からも「家族なんだから仲良くしなよ〜。」という感じで言われたりします。

仕事場でも「家族なんだからうまくやりなさい。」みたいな。

警察などの公的機関でも「家族ですからよく話し合って。。。」など。

 

家族なんだから、と言われると一見納得してしまいそうになりますが、このマジックワードには気をつけた方がよいです。

それは、使う側も使われる側も同じです。

この言葉を使う背景は様々ですが、良い意味で使おうとする場合は相手との距離を縮めたい、親しくなりたい、親密性を高めたいと思うときに発せられることが多いのではないでしょうか。

余計な心配や遠慮は無用だよ、という想いがこの言葉には込められているのでしょうね。

 

しかし、良い意味でばかり使われているわけではありません。

この言葉を使うことによって相手をコントロールすることも可能だからです。

日本人にとって家族という言葉はとても力のあるもので、有無を言わせないような強制力を感じさせるからです。

 

家族という言葉は「家」と「族」という漢字からできています。

部族

暴走族

貴族

王族

などからも集団や階級などの意味があることが分かります。

家族に関して言えば、昔の家制度の時代には家系に属している人の集まりということが言えるでしょう。

ただし、現代は核家族がほとんどですので家(ホーム)に住んでいる親子が家族だというイメージが大きいように思います。

 

特に多い、嫁姑間の問題にはこの家族なんだからが絡んでいることも少なくありません。

「族」には血つづき、という意味もあります。

日本において家族の一員となるということは血を繋げるということであり、極道社会でいうところの盃を交わすということでもあるわけです。

いわば暗に、家族となったからには血のルールに従わなくてはならないというメッセージが込められているようにも感じます。

姑からすると血の繋がりのない女性(後輩)が入ってくる。

嫁からすると血の繋がっていない集団へ入っていくわけですから、折り合いがつかない場面が出てきてもおかしくはありませんね。

 

グローバル社会、ダイバーシティ社会、など個を大切にする時代になっているなか、自分を捨てるということには大きな抵抗を覚えても仕方がありません。

そのひとつとして、日本でも夫婦別姓を望む人が増えていることも事実です。

 

時代や世代間、価値観とのギャップに対処することは簡単ではありません。

発する側と受け取る側でも想いの取り方はいろいろですので、それを家族なんだからということで片づけてしまおうとすることは、本当の解決にはならないように思います。

 

簡単には解決できない問題ですが、重要なのはやはりコミュニケーションでしょうね。

できれば結婚する前からも、しっかりと両方の親とも関係を作っていく必要性はあるかもしれません。

結婚は本人同士の合意によってできますが、その後に余計なトラブルを起こさない、巻き込まれないためにもお互いのことをオープンにしておくことは大切だと感じます。

もちろん、結婚後でも遅くはありません。

何事も時間をかけて焦らず関係を築いていくという姿勢が良いのではないでしょうか。

 

家族なんだから、仲良くしなければいけない、、、わけでもありません。

家族なんだから、親の言うことに従わなければならない、、、わけでもありません。

家族なんだから、プライバシーなどない、、、わけでもありません。

 

親しき仲にも礼儀あり、です。

家族であろうと他人であろうと気持ちの良い関係というのはお互いの思いやりと努力の積み重ねの結果ではないかと思います。

 

家族なんだからすべてがうまくいく、という幻想に騙されないようにしましょう。

ありがとうございます。

 

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否定されて嬉しい人はいないでしょ

人は否定されることを嫌がります。

これはどの人でも同じです。

否定され続ければ否定する人に対して不快感や嫌悪感を抱いてしまってもそれはある意味自然なことです。

 

お前はこんなこともできないのか。

お前はどうして言うことを聞けないのか。

お前はブスだ。

お前は頭が悪い。

お前は生まれてこなければよかった。

お前は才能がない。

お前の意見など聞く必要はない。

お前といても楽しくない。

お前。。

お前。。

お前。。

 

読んでいるだけでも腹が立ってくるかもしれませんね。

しかし、こんなことを言われても何も言い返せない人がいます。

それは、家庭内の幼い子どもたちです。

 

子どもはある時期までは親が絶対的存在であるため、親の言うことはすべて正解となってしまうことが多いです。

子どもに、「なんで○○したらいけないの?」と聞かれて「なんででも!」というような返答をしてしまうことも少しはあるのではないかと思います。

否定の一方通行を続けてしまうと、知らず知らずのうちに親子の心理的距離が遠く離れる可能性があるので注意が必要です。

 

頑張ったことを褒めてもらいたいと思っているのに、無視されたり、否定されるなどして子ども自身の期待と大きく違った時に「なぜ?」という大きなクエスチョンマークが発生します。

そのときの多くは、親のせいにはしません。

なぜなら子どもの中の親は愛すべき存在であり、良い存在でもあるからです。

するとおのずと犯人は子供自身であることになります。

 

しかし、いずれ「???」となります。

本当は親のほうがおかしいのではないか?

そうなると、今まで自分に向けていた感情が親に向かいます。

いわゆトラウマ返しです。

 

また、そのまま成長すると否定・批判に対して非常に神経質になり、そのこと自体を受け容れることが難しくなります。

相手の否定や批判を受け容れることができる人は十分に肯定されてきたからできることなのです。

もし、相手の言葉に対して過剰に反応して攻撃的になるようなことがあるなら、これまでの人生でどれくらい肯定されて生きてきたか確認してみても良いかのしれませんね。

 

繰り返しますが、人は否定されることが嫌いです。

否定ではなく、肯定できる部分を見つけてあげましょう。

それは相手だけではなくあなた自身にも当てはまります。

自分で自分を否定してしまっていることも多くあるからです。

 

自分はダメな人間だ。

自分は才能がない。

自分は○○はできない。

など、意外と自分はよく見れていないものです。

 

逆に人は肯定されると嬉しく思う生き物でもあります。

これもどの人も同じです。

あなたを活かすためにも否定ではなく肯定で生きてみてはいかがでしょうか。

ありがとうございます。

 

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これからはあなたの時代がやってきますよ

興味深い記事を読みました。

 

ブランドではなく「消費者」がブランドの時代に

https://forbesjapan.com/articles/detail/15042?utm_source=YahooNews&utm_medium=referral&utm_campaign=yahoonews

 

これまではブランドを所有することで、そう見られたい、という表面的な理由から購入することが多いではないでしょうか。

しかし、そもそもブランドというものは、そのデザインや機能性、会社の理念などが私らしさと一致して共感したときに最大のアイテムとなりますね。

私らしさというものが自分のなかに確立されており、それに見合うブランドを身につけるような感じです。

政治でいうとあなたの主義主張に一番近い政党や議員に投票するようなものでしょうか。

 

ところがSNSの登場により個人での情報発信が容易にできるようになった時代、私たちはより「私」であるを大切にしたいということなのでしょう。

ブログ、facebook、ツイッター、youtubeなど、様々な媒体や機能を利用することで「私」というものをかなり正確に発信できるようになっています。

その流れに各企業が気づき始めているということだと思います。

 

家族でも同じです。

これまでは「家」や「家系」というものがとても重要視されてきました。

結婚式に関しても○○家と○〇家、ご両家の結婚ではなく、●●さんと●●さんの個人の結婚という形になってきています。

家というブランドではなく、あなた自身がブランドであって、その個人(ブランド)に惚れた人が一緒になる。

これからも家柄なども重要な要素として残っていくにしてもその割合は小さくなり、個々人の価値観や愛情の大きさがより大きくなっていくように思います。

 

親子の関係でも個とのずれからすれ違いとなることも多くあります。

長らく家族のルールに縛られて生きてきた方などは、成人になってからも自分というものを確立できなかったりすることもよくあります。

それは、個の考えではなく組織の考えを常に優先してきたからです。

そのため、長年仕事一筋で働いてきたお父さんに限って、やっと定年で自由な時間を手に入れたと思ったら、何をやっていいのか分からなくなってしまうような現象が起こってしまうのです。

 

ちなみに、心理カウンセリングは一人ひとり、相談者の悩みや問題に合わせてお話を進めております。

マイブランドを確立したいよという方、お待ちしておりますね。

ありがとうございます。

 

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分かってほしくて争うのかな

人間だれしも平和であることが良いと考えていますね。

しかし、人類は絶え間なく争いを繰り返しています。

そう、今この瞬間にも。

 

たまたま見つけた動画ですが、これを眺めるだけでもいろいろと考えさせるられますね。

https://youtu.be/bYy2W_5F27M?list=PL3wKnYBygU0yhNqIjF8o6uvwch7srzWos

[世界の戦争1000年の歴史(西洋から見た)]

 

争いは対立するだけでは始まりません。

その対立が真正面からぶつかってお互いが避けないときに発生します。

道を歩いていて正面からも人が歩いてきたとき、お互いが譲らなければぶつかります。

非常にシンプルですね。

私たちはそういうときにどうしていますか?

あなたはどうしていますか?

ほとんどの場合はお互いが一歩ずつ避けあって通り過ぎるのではないでしょうか。

 

物理的にはできても、思考になるとできなくなってしまう人は結構多いように感じます。

自分は絶対正しいのだ、という思考に囚われてしまうのです。

 

親子の問題でも多くがこの思考のパターンにはまっていることがあります。

子どもが間違っている、親がおかしい、などの考えを持つだけでは問題にはなりません。

しかし、その考えを相手にぶつけたときに問題となります。

子どもが間違っているのだから、親としてそれを正してあげなくてはいけない。

などといったことから対立が激しくなってしまうのです。

 

人には承認欲求というものがあります。

誰もが持っているもので、人から認められたいと思う気持ちです。

〇〇さん、素晴らしい!その通り!素敵!尊敬します!美しい!かっこいい!

と言われれば素直に悪い気はしないですよね。

逆に、〇〇さん、ダメだよ!おかしいよ!間違っているよ!センスないね!ブサイクだね!生きてる価値ないね!

と言われれば素直に良い気はしないはずです。

 

人は否定的なことを繰り返し言われ続けると、この承認欲求は強くなります。

表面的には自分はダメな人間だと思っていても、心の奥底では自分を認めてほしい!という気持ちがマグマのようにたぎっているものです。

その気持ちが噴火して出てきてしまうと、人によっては自分の考えを曲げることができなくなってしまいます。

自分は道を譲ることができず、譲られたことが認めてくれたことと勘違いしてしまうようなものですね。

 

人は認められたくて戦争までしてしまうということでしょうか。

人は認めてほしいからその相手を殺してしまうのでしょうか。

なんだか矛盾しているようにも感じますね。

 

しかし、家庭で起こる問題の多くも同じようなものかもしれません。

相手に対して強く対立心が起こった時には一度あなたの心のなかを覗いてみましょう。

物理的な平和は心の平和のうえに成り立っているのかもしれませんね。

ありがとうございます。

 

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親と愛情

なぜこの親から生まれてきたのか。

なぜこの子を産んだのか。

そのようなことを考えたことはありますか?

おそらく1度くらいはあるのではないでしょうか。

 

同じ親から生まれた子どもでもその待遇が全く違うことも多々あります。

同じように育てたつもりでも、子どものとらえ方は兄弟で全く違うこともあります。

 

人の人生というのは誰一人として同じということはないんですね。

あたりまえのことなのですが、あらためて考えてみますととても奇妙に感じます。

皆違う人生を歩むのですが、皆望んでいるものもあります。

 

それは愛情です。

 

愛情は心の肥料のように精神的な成長を助けてくれます。

これが不足していると将来、大きな親子問題となる可能性があります。

もしくは、反社会的な行動に走ってしまうかもしれません。

サイコパスといわれる人たちのほとんどは幼児期に虐待や何かしらの心の傷を負っていることが分かっています。

人間という生き物は満たされない心は何かで埋め合わせる習性があるのかもしれません。

 

愛情は生きている限り様々な人から受け取ることができます。

しかし、やはり受け取る一番重要な相手は親からでしょう。

なぜならはじめて愛情を受け取る相手は親(特に母親)だからです。

 

この「親」は生みの親である必要はないと思います。

たとえ血がつながっていなくても愛情を持って育てることができるのなら、その人たちは立派な親だと思います。

そのことを考えさせられる映画に『チョコレート ドーナツ』があります。

機会があれば見てみてください。

 

虐待する血縁関係のある親と、愛情を持って育てる血縁関係のない親、どちらが「親」としてふさわしいかと言われれば、愛情のある他人のほうが子どもの成長には良いのではないかと感じます。

 

親とは産んだ人間ではなく、愛情深く育てた人間。

 

私たちは親になるまでにしっかりと愛情というものを学び、受け取り、与えられる人間になる努力をしないといけないかもしれませんね。

普通に考えれば、妊娠すれば、子どもが生まれれば、急に遺伝子構造が変化して素晴らしい親に変身できるわけがないではないことはわかっているのですから。

 

小学校は2018年から中学校は2019年から道徳が教科化されます。

そのことで愛国心などが話題にされますが、もっと大きな観点で人を思いやる気持ちや大切に思う気持ちを育てることに大きく貢献してほしいものです。


もしこのまま親子の問題が深刻化していけば、近い将来もしかする親になるための資格が必要になるかもしれません?!
それで資格のない親が子どもを産んでしまったら、今度は親代行会社なるものも現れるかも。

そして、その子どもを面倒見るのはAI(ロボット)かもしれませんよね。。。

ありがとうございます。

 

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親から受け取りたいもの

人間は女性のおなかの中から生まれてきます。

人間である以上この自然の法則には逆らえません。

そしてこの女性は母親となります。

パートナーの男性は父親になります。

もちろん、そのほかにも養子をとったり、里親になったりして親になることもできますが。

 

そして、親は子どもにいろいろなものを与えてくれます。

食べ物、着る服、雨風をしのぐ住い、お金、おもちゃ、教育などなど。

これらは目に見えるもので多かれ少なかれ誰もが親から受け取ってきたものばかりではないでしょうか。

 

親になれば当たりまえのことだと感じるでしょうね。

しかし、不思議なことにこれらを十分に受け取ったような人たちのなかにも心が満たされていない人が多くいます。

物質的な面では特に大きな不自由もないにもかかわらずです。

 

日本は高度成長期のなかで物質面の豊かさを第一に一生懸命進んできました。

そのおかげで日本は世界でもまれにみるほど豊かで便利できれいな国になりました。

とても素晴らしい国だと思うのですが、日本の幸福度はどの程度なのでしょうか。

 

2017年度の世界の155カ国を対象にした幸福度ランキングで、日本は51位でした。

これを高いとみるか、低いとみるかは人それぞれですが、物質面でそれほど豊かではない国々が日本より上位にいることからも、物質的豊かさ=幸福、とはならないようです。

 

例えば、経済面で恵まれている忙しい親などは子どもに好きなものを買い与え、体に良いものを食べさせ、よい家に住み、高等な教育を受けさせれば子どもは大丈夫、それでいい、と考えてしまうことも少なくないようです。

しかし、それだけではだめなのです。

 

人間は肉体という物質でもある反面、心や魂という霊的な面(みえない面)も持ち合わせています。

これは50:50という形ではなく、心という土台の上に肉体が乗っているような状態だと感じています。

では心の土台はどうやって作りあげられるのか。

 

それは、『親からの愛情と保護』からです。

 

子どもが親から受け取る必要があるものはこの愛情と保護であり、それは親からの温もりと安心感とも言えるのではないかと思います。

子どもが愛されていると実感できるだけの親子の時間がしっかりとあり、子どもと共通の体験を多く積むことで親と一緒にいることで子どもは安全を感じることができるのではないでしょうか。

 

これをしっかりと固められれば物質面が弱くても心は安定します。

基礎のしっかりした建物は強くて安定しているのと同じです。

 

子どもがまだ小さいのなら「今という時間」はとても重要で大切です。

もし子どもが大きくなっているのら、今からでも遅くはありません。

いちから建て直すつもりで(基礎から)関わりかたを考え直してみましょう。

 

愛情と保護を与えられる人間=与える人間と与えられる人間両方の幸福。

 

これに繋がっていくように感じます。

ありがとうございます。

 

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