その親切心は本当に必要か

人に親切にすることは大切です。

お互いが親切にすることで心の交流が生まれます。

また、相手に対する思いやりの心も生まれてきます。


親切は良いコミュニケーションを生み出すのにとても有効ですね。

しかし、その親切は本当にその人のためになっていますか?

 

相手に親切にすることは思っている以上に難しいときがあります。

なぜならこちらの思う親切は受け取る側からすると親切ではないと思うことがあるからです。

そのようなことは誰もが一度は体験しているのではないかと思いますが、あまり深くは考えないのではないでしょうか。

 

ただ、この日本という国は親切ということに関しては、他国に比べて非常に深く追及している国のひとつではないかと感じます。

日本を表す言葉に、おもてなし、思いやり、ホスピタリティなどがあります。

昨日の都議会選挙では都民ファーストの会が圧勝しましたが、この会の名前も「都民が最優先」と掲げています。

 

そのことからも、私たちにはこの親切心が身体にしみ込んでいるといってもいいかもしれませんが、それでも誤解や衝突が生まれてしまいます。

なぜ親切にしたのに嫌われるのか、嫌な顔をされるのか、感謝されないのか。

答えは簡単です。

それは、相手には親切に映らなかったから、です。


あなたはきっと○○すれば喜んでもらえる、感謝してもらえると思うから親切にするのだと思うのです。

ただし、それだけの理由で行動してしまうと思わぬ反応が返ってくかもしれません。

なぜなら、それはあなたの一方的な考えや価値観によって行われていることだからです。

 

例えば、友人があなたに妊娠したことを報告したとしましょう。

あなたは新しい命が宿ったことに嬉しさを感じて「おめでとう」と言いました。

しかし、友人は泣き出すかもしれません。

なぜでしょう?

それは、もしかしたら親から出産を反対されたかもしれません。

もしかしたらレイプされたときにできてしまった子どもかもしれません。

それを知っていたら、あなたは「おめでとう」と言えるでしょうか?

 

そのようなことを考え出すと何もできなくなりそうですね。

ただ、良いことをすることも簡単ではない、ということを自覚しておく必要はあると思います。

 

家族のなかでも、子どものために、あなたを想って、家族のために、頑張る人も多いでしょう。

ただ、その頑張りや想いは本当に相手に伝わっているでしょうか?

誤解されてはいないでしょうか?

相手は本当にその頑張りが欲しいと思っているでしょうか?

 

『小さな親切大きなお世話』という言葉があります。

たまには、あなたの行動が裏目に出てしまうことがあっても仕方がないことです。

そんな時にはあなたがどういう想いでそういう行動をしたのかを、よく相手に話をして説明しましょう。

それは、あなたの行動(親切)が正しいことを相手に分かってもらうことではありません。

あなたを喜ばせたい、一緒に楽しみを分かち合いたかった、ということを解かってもらうために話しましょう。

言葉や行動が裏目に出ても、気持ちが相手に伝われば、その気持ちは受け取ってもらえるはずです。

 

そして、その場に最適な親切ができるように日々精進していきたいですね。

そのためには相手をよく観察してみましょう。

天気、場所、表情、持ち物、目線、洋服、性別、時間帯などなど、できる限りいろいろな情報をインプットして必要と思われる言葉や行動を相手に投げかけてみましょう。

上手くできなくてもよいのです。

大切なのはやはり「気持ち」なのですから。

ありがとうございます。

 

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家族なんだからの呪縛


家族なんだから、この言葉に不快感を示す人は結構多いです。

親からは「家族なんだから○○してもいいでしょ。」「家族なんだから○○しなさい。」などと言うことはよくあることかもしれません。

また、嫁姑間ではこの言葉が原因で大きな問題になることもしばしばありますね。

 

そして、家族なんだからという言葉はなにも身内から出てくる言葉だけではありません。

友人・知人からも「家族なんだから仲良くしなよ〜。」という感じで言われたりします。

仕事場でも「家族なんだからうまくやりなさい。」みたいな。

警察などの公的機関でも「家族ですからよく話し合って。。。」など。

 

家族なんだから、と言われると一見納得してしまいそうになりますが、このマジックワードには気をつけた方がよいです。

それは、使う側も使われる側も同じです。

この言葉を使う背景は様々ですが、良い意味で使おうとする場合は相手との距離を縮めたい、親しくなりたい、親密性を高めたいと思うときに発せられることが多いのではないでしょうか。

余計な心配や遠慮は無用だよ、という想いがこの言葉には込められているのでしょうね。

 

しかし、良い意味でばかり使われているわけではありません。

この言葉を使うことによって相手をコントロールすることも可能だからです。

日本人にとって家族という言葉はとても力のあるもので、有無を言わせないような強制力を感じさせるからです。

 

家族という言葉は「家」と「族」という漢字からできています。

部族

暴走族

貴族

王族

などからも集団や階級などの意味があることが分かります。

家族に関して言えば、昔の家制度の時代には家系に属している人の集まりということが言えるでしょう。

ただし、現代は核家族がほとんどですので家(ホーム)に住んでいる親子が家族だというイメージが大きいように思います。

 

特に多い、嫁姑間の問題にはこの家族なんだからが絡んでいることも少なくありません。

「族」には血つづき、という意味もあります。

日本において家族の一員となるということは血を繋げるということであり、極道社会でいうところの盃を交わすということでもあるわけです。

いわば暗に、家族となったからには血のルールに従わなくてはならないというメッセージが込められているようにも感じます。

姑からすると血の繋がりのない女性(後輩)が入ってくる。

嫁からすると血の繋がっていない集団へ入っていくわけですから、折り合いがつかない場面が出てきてもおかしくはありませんね。

 

グローバル社会、ダイバーシティ社会、など個を大切にする時代になっているなか、自分を捨てるということには大きな抵抗を覚えても仕方がありません。

そのひとつとして、日本でも夫婦別姓を望む人が増えていることも事実です。

 

時代や世代間、価値観とのギャップに対処することは簡単ではありません。

発する側と受け取る側でも想いの取り方はいろいろですので、それを家族なんだからということで片づけてしまおうとすることは、本当の解決にはならないように思います。

 

簡単には解決できない問題ですが、重要なのはやはりコミュニケーションでしょうね。

できれば結婚する前からも、しっかりと両方の親とも関係を作っていく必要性はあるかもしれません。

結婚は本人同士の合意によってできますが、その後に余計なトラブルを起こさない、巻き込まれないためにもお互いのことをオープンにしておくことは大切だと感じます。

もちろん、結婚後でも遅くはありません。

何事も時間をかけて焦らず関係を築いていくという姿勢が良いのではないでしょうか。

 

家族なんだから、仲良くしなければいけない、、、わけでもありません。

家族なんだから、親の言うことに従わなければならない、、、わけでもありません。

家族なんだから、プライバシーなどない、、、わけでもありません。

 

親しき仲にも礼儀あり、です。

家族であろうと他人であろうと気持ちの良い関係というのはお互いの思いやりと努力の積み重ねの結果ではないかと思います。

 

家族なんだからすべてがうまくいく、という幻想に騙されないようにしましょう。

ありがとうございます。

 

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すべては期限つきなのだ


本日、小林麻央さんが乳がんのため亡くなったというニュースを見ました。

乳がんを告知されてから始めたブログではたくさんの人の心をつないでいました。

まだ34歳と大変若くしてこの世を去ってしまったこと、まだ幼い子供のこと、もちろん夫のことも含めて「どうして?」という気持ちが湧いてきますね。

でも、本人は精一杯生きようとしたし、生きたと思います。

 

死、、これは自然の摂理なんですね。

生があれば死がある。

始まりがあれば終わりがある。

これはこの世の変えられない法則です。

 

健康なときには時間というのは永遠に感じられます。

5年後、10年後、50年後のことを考えながら生きています。

しかし、本当は3か月後、もしくは今日死んでしまう可能性だってあるわけですね。

 

80歳で死ぬ準備はできていても、今死ぬ準備はできていない人がほとんどではないかと思います。

5分後に死ぬと言われて「わが生涯一片の悔いなし!」と言い切れるかどうかは私自身も不安ですね。

でも今を大切に一生懸命生きたならそのような心境になれるのかもしれません。

今を精一杯生きるという言葉はありふれているのかもしれませんが、今回のようなニュースを見るとその言葉の重みを感じます。

 

なぜならすべての事象は期限つきだからです。

 

生死だけではなく、人生には見えない期限が設定されているので永遠ということはありえません。

今の仕事、人間関係、親、兄弟、妻、子、所有している物だっていつ別れのときが来るか分かりません。

しかし、必ずその時が来ることは知っています(知っているはず?!)。

 

がんで明日にでも居なくなってしまうかもしれないとなれば、人はその人との時間を大切にします。

でも、元気なときには他の人と遊ぶほうを優先させるかもしれません。

どちらが良い悪い、長い短いの問題ではありません。

重要なことは一緒にいる今この時間を精一杯大切にするということです。

 

妻との時間を100%楽しむ。

子どもと全力で遊ぶ。

目の前の仕事(タスク)に集中して取り組む。

物を大切にする。

地球や資源を守る。

 

など、今あなたが大切だと思うものに対して、たくさんの愛情を注いでいきましょう。

喜怒哀楽、すべてが良いことばかりではありません。

つらく、苦しいときだってたくさんあります。

すべてを投げ出したいような気持になることも1度や2度ではないでしょう。

でも、何にでも期限があることを想えば、今この瞬間が大切であることはより鮮明に感じられるでしょう。

 

何となく生きてしまいがちですが、もっと何かできるはず。

あなたの本気はこんなものですか?

ありがとうございます。

 

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無いものねだり


人の運命をうらやむ人が多くいます。

私には○○が無いのにあの人は。。。

というケースが一番ではないでしょうか。

 

しかし、私たちは人の生活の一部を見て判断しているに過ぎないので、人生の中で抱えている悩みや苦しみまでは見えにくいものです。

見えている部分は華やかで素晴らしく映っていても、まったく悩みも苦しみもない人などはいません。

多かれ少なかれ、大なり小なり必ずあるものです。

 

それは、その人と一緒に生活をしてみればすぐに理解できると思います。

そうすると意外と相手はあなたのような人生をうらやましく思っていたりするかもしれません。

人は無いものや手に入れられないものに対しては無性に欲しくなる習性がありますね。

無いものねだりという状況になるわけです。

 

例えば、お金や地位が無い人はそのような人にはあこがれますよね。

でも、お金や地位もある人は、実はお金は無いけど自由で楽しく家族団らんできることに強い願望があるかもしれません。

 

人の人生は切り取られたところしか目に入りません。

いわばそれは絵画のようなものです。

その一瞬が素晴らしくても刻一刻と状況は変わっていきます。

人生はフィルムだからです。

そのフィルムを通して初めて人生の真の意味や特徴を感じることができるのではないかと思います。

 

そのときに本当にその人の人生を送りたいと思うかどうかを問いてみてはどうでしょうか。

私たち一人ひとりはそれぞれの役割を持ってこの世界にいるように思います。

それが何かは分かりませんが、とりあえず自分なりに精一杯生きていればいいようにも感じます。

無いものを欲しがるのではなく、あるものに感謝できる人の方が素晴らしいと思うのですがどうでしょうか?

ありがとうございます。

 

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否定されて嬉しい人はいないでしょ

人は否定されることを嫌がります。

これはどの人でも同じです。

否定され続ければ否定する人に対して不快感や嫌悪感を抱いてしまってもそれはある意味自然なことです。

 

お前はこんなこともできないのか。

お前はどうして言うことを聞けないのか。

お前はブスだ。

お前は頭が悪い。

お前は生まれてこなければよかった。

お前は才能がない。

お前の意見など聞く必要はない。

お前といても楽しくない。

お前。。

お前。。

お前。。

 

読んでいるだけでも腹が立ってくるかもしれませんね。

しかし、こんなことを言われても何も言い返せない人がいます。

それは、家庭内の幼い子どもたちです。

 

子どもはある時期までは親が絶対的存在であるため、親の言うことはすべて正解となってしまうことが多いです。

子どもに、「なんで○○したらいけないの?」と聞かれて「なんででも!」というような返答をしてしまうことも少しはあるのではないかと思います。

否定の一方通行を続けてしまうと、知らず知らずのうちに親子の心理的距離が遠く離れる可能性があるので注意が必要です。

 

頑張ったことを褒めてもらいたいと思っているのに、無視されたり、否定されるなどして子ども自身の期待と大きく違った時に「なぜ?」という大きなクエスチョンマークが発生します。

そのときの多くは、親のせいにはしません。

なぜなら子どもの中の親は愛すべき存在であり、良い存在でもあるからです。

するとおのずと犯人は子供自身であることになります。

 

しかし、いずれ「???」となります。

本当は親のほうがおかしいのではないか?

そうなると、今まで自分に向けていた感情が親に向かいます。

いわゆトラウマ返しです。

 

また、そのまま成長すると否定・批判に対して非常に神経質になり、そのこと自体を受け容れることが難しくなります。

相手の否定や批判を受け容れることができる人は十分に肯定されてきたからできることなのです。

もし、相手の言葉に対して過剰に反応して攻撃的になるようなことがあるなら、これまでの人生でどれくらい肯定されて生きてきたか確認してみても良いかのしれませんね。

 

繰り返しますが、人は否定されることが嫌いです。

否定ではなく、肯定できる部分を見つけてあげましょう。

それは相手だけではなくあなた自身にも当てはまります。

自分で自分を否定してしまっていることも多くあるからです。

 

自分はダメな人間だ。

自分は才能がない。

自分は○○はできない。

など、意外と自分はよく見れていないものです。

 

逆に人は肯定されると嬉しく思う生き物でもあります。

これもどの人も同じです。

あなたを活かすためにも否定ではなく肯定で生きてみてはいかがでしょうか。

ありがとうございます。

 

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